ブログ初投稿にて、お手柔らかに。。。

皆さん、初めまして。
今日は、自己紹介をしようかと思います。
私は、福井県鯖江市で生を受けまして・・・
小学校入学ぐらいまでは特に不自由なく
父、母、祖父、祖母、妹、自分。の6人暮らしでした。
小学校の時、私は野球をやっていました。小2の冬からやらされて始めた野球。
なまじ上手かった(小学校は)ため親父の熱の入れようは、すごいものでした。
小学校3年から硬式ボールでピッチングをし、自宅にはティーバッティングネットがありました。
中学へ進学後、高校へ。
中学校3年の12月、甲子園常連高校への進学をきめ、毎日家で練習をしていました。
腰に違和感を覚えたので整形外科へ。。。
結果は「腰椎分離症」
安静が必要でした。
完治をせずに高校へ進学。
しかし「甲子園にレギュラーで出場すること」が当時の目標。
「休む」ということが頭になく、腰を騙し騙し練習に打ち込む日々。
高校2年の5月、再診。
結果は「椎間板ヘルニア」
痛くて、歩くこともままならない状態。ブロック注射で処置を終わらせたことを考えると、ヘルニアは軽度のものだったのでしょうか?
その後3ヶ月近く練習は見学だけでした。
目に見えない怪我は悲惨です。
コルセットを外すと、「練習をサボる口実じゃないか」と陰口をたたかれる。
一度そういうレッテルを貼られると、覆すのは相当難しい。
集団心理の恐ろしさを味わいました。
ここで私は腐ります。
練習中はサボりっぱなし(でも毎日行った)。部員数人とのケンカ。
しかし、ひょんなことから幼馴染の先輩の勧めで「ボクシング」をやることに。
高校にボクシング部はありませんでした。
「内申に響く」と考え、野球部はやめずに、練習後すぐに帰って、アマチュアのボクシングジムに通う日々。
高校3年の8月、大学に進学することに決めた私は、受験料と入学金をためるため、バイトを始めます。
受験勉強の傍ら、バイトとボクシングの練習をする毎日。
併願の受験料は、高額なため、専願受験をはしごする方法を取りました。
一つ目に受けた国立大学は、不合格。
この通知が来たのが12月26日。
私の高校では、推薦で進学する人がほとんどのため、年を明けても進路が決まっていないのは、クラスで私を含め、3人だけでした。
「体育系の学部へ行く。」ということだけは決めていたので、その条件でまだ推薦入試の募集をかけている所を探しました。
全国で1校だけ・・・その大学は名古屋にありました。
話の舞台は名古屋に移ります。
進学には猛反対されていたので、金銭的支援は皆無でした。
収入は、バイト代と奨学金(63000円)。
学費が年間124万もかかるため、まさに「ゼイタクは敵」でした。
アパートは、家賃15000円。風呂なし、トイレ、キッチン、シャワー共同の木造を借りました。
必要経費は、学費(月割り)と緑ボクシングジムへの月謝を含め、月176000円。
バイト代がたくさん入った月は、差額を交際費・娯楽費に当てました。
当時の平日のスケジュールは、
9:00~16:10=授業
17:00~19:00=ボクシング
20:30~24:00=パチンコ屋でバイト
土日のスケジュールは、
8:30~17:00=パチンコ屋のバイト
18:00~20:00=ボクシング
その合間に6kmを毎日走っていました。(少ないかもしれませんが・・・)
正直きつかったですが、「世界チャンピオンになる」という夢があったので頑張れました。
2004年8月末。
「プロテストを受けてみろ!」とトレーナーの文雄さんに言われました。
テストは12月―、私はそれに向け、死に物狂いで練習していました。
2004年9月24日―――
   私は、バイクでトラックと正面衝突事故を起こしました。
第4腰椎破裂骨折に加え、左足4ヶ所骨折。しかも割れた腰の骨が、神経に刺さり、感覚障害を起こしていました。
緊急外来での初診は、
「下手をしたら、歩けなくなるかもしれませんね―――。」
初診の内容を当時付き合っていた彼女にメールで伝えます。
冗談だと思ったらしく、ふざけた返信文。
電話をかけ本当だということを告げると「そうなんや・・・」の一言。
会話にならないので、その時は電話を切りました。
その後、彼女から一切連絡が来なくなりました。
散った世界チャンプの夢、去り行く恋人。崩壊する自我―――
久しぶりに泣きました、おそらく一生分。
地獄の入院生活。
排泄の際は尿道にストローのような管を突っ込まれ、オムツや簡易便器で済ます。
何も自分でできない・・・みるみる細くなる足。
難しい手術だったらしく、執刀医を見つけるのに30日もかかりました。
2004年10月11日。手術は成功。
術後の激痛に耐え、リハビリを開始。
病状が安定してきたので、担当医から説明を受けました。
障害者等級11級。
・今後は、激しい運動はできないこと。
・腰椎が1つ不足しているので、新たにヘルニアになる可能性が高いこと。
・40歳代で、お年寄りのように腰が曲がり始める可能性があること。(体幹部を鍛えれば、予防はできる)
入院して、3ヶ月。病院内では、そこそこ歩けるようになるまで体は回復していました。
担当医の「半年は入院したほうが良い」という忠告を無視し、私は、3ヶ月で退院しました。
退院後、すぐにその意味を思い知ることになります。
階段が上れない、歩道の傾斜で激痛が走る。信号が青のうちに横断歩道を渡れない、などなど。
普通のことが普通にできない自分に、すごく腹が立ちました。
しかし周囲の支えもあり、身体は徐々に回復していきました。
一方その過程で、私の目標は、変化していました。
入院中、考える時間は、腐るほどありました。
「なんで死ななかった?」
「なんでこの世に生まれてきた?」
「自分が失ったものは何だ?」
「今の自分にできることは?」
「名を上げる方法は残されていないのか?」
毎日毎日、禅問答を繰り返しました。
アスリートとしての筋力を失った私に残されていたものは・・・頭だけです。
さらに、脳力は筋力と違い、入院しても退化をしないオマケつきです。
「起業し、成り上がるしかない!!!」
私のハラは決まりました。
そこから現在に至るまで、更に色々なことがありました。
特許の申請、軽度の交通事故、友人の死、行政書士の裏切り、などです。
今後は、みなさんのタメになるような話もちょくちょくUPしていきますので♪
よろしくご覧下さいませませ☆

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